
時々、良いアイディアが浮かぶことがある。すぐにパソコンでブログ等に書き込んでおこうと思う。でも忙しさにかまけて、書き込みを忘れてしまう。すると思考自体が消えてしまう。言語化をしておかないと思考を留め置くことはできないようです。
同じようなことが夢にもあります。夢を朝方に見ます。その夢を記録しようと思うのですが、ちょうどマーブリングのようなもので、ちょっとした音などで消えてしまうことがあります。ですから、そっとそっとしておいて、夢を速やかに記録する=言語化することが必要となります。

思考や夢は言語化しないと長期保存は無理のようです。
実はこの間自分なりに素晴らしい考えを思いついて、記録しようとしたのですが、その時は忙しくて記録できませんでした。それ以来、思い出したくても思い出せないでいます。こうやって、パソコンを打っていれば、思い出すかもしれないと打っているところです。
といい線にいきそうだったのですが、ピンポンが鳴って、お客様が来ました。思考停止となりました。
思考停止から1日が経ちました。キーボードにタッチしていたら、思い出してくるでしょうか。ひらめきは働きのことだったかもしれません。日本人のことかもしれません。子どものことだったでしょうか。平島公園のこと・自治会運営のこと・政治のこと・自然を大切にすること・植物の力について・地球のこと・映画の話などなど考えながらいるのですが、やはり思い出すことが出来ません。あんまりたいしたことではなかったのかもしれませんね。
思い出して、長文となりました。
働きの思想
児童健全育成指導士 田中 純一
働きの思想
世界も日本も変動のときであると私は感じています。欧米かぶれの日本人が西欧崇拝主義的に日本の教育をダメにしていると感じています。
ジェンダーフリー・こどもの権利条約崇拝主義・受容共感論者はたまた経済においてはヘッジファンドなどなど、成金主義的な発想が多すぎるように思います。
職場を定年退職して、自治会活動や平島公園での活動そして児童館や児童クラブ・小学校の教員の研修会などをやっていて、自分の職場以外の場所でも前記の観念論者に振り回されて機能不全に陥ることが多い現状を感じています。
私は学生時代に学生運動等のいろいろな経験をして、いろいろな考えを学びました。共産党のことも中国のこともいろいろ学びました。今は英語などをやっていて、アメリカなどの考えを学んでいます。
そのプロセスで解ったことは、世界の中で日本はけっこう素晴らしい思想と考えと発想を持っていることです。とくに『働く』は人のために動くと書きますが、それが国字(日本人が作った漢字で中国にはない)であることです。この『働く』との思想が根本にあることが日本を日本にしているのではないかと思います。
英語で働くとはジョブするとかワークするです。つまり仕事があるとかお金を稼ぐとの意味です。中国語では役務するとか工作するとかです。中国語でも英語でも人のために動くとの意味は基本的にはありません。ですから地震などになると、お金持ちから適当にこの際だから頂いていくという略奪の思想が残っているのです。日本人の働きは他人のために動くですから、働いた成果物は基本的にみんなのためのものとの発想があります。ですから、人のために動いた結果のものを奪い取ろうとの発想が出てこないのではないかと私は思います。
昔から日本人は職人気質がありました。奈良時代であろうが平安時代であろうが、建造物は大工の誇りの仕事であったようです。そして、柱の見えないところにこっそりと名前とか何時作ったかなどが書かれていました。また、現代でも庭師はオーナーである庭の持ち主に『この木はこう切るのが良い』などとオーナーの意思に反する提言をします。これをオーナーは受け入れる能力があるのが日本のすごいところであると私は思っています。
『働く』ことに他人のために一生懸命動き、自分のやり遂げた仕事に誇りを持つ文化は素晴らしい文化であると思います。
日本も歴史的に観ると、1万年位前の氷河期にマンモスを追って、シベリア方面からの移住があり、次に5000年位前にインドネシア方面から黒潮にのって移住してきたものがいます。ついで中国の春秋戦国時代に中国南部からの移住があり、朝鮮半島からの移住があったようです。これらのことは骨格調査とDNAの解析によって明らかになってきたものです。そしてこれらの民が混血していって、協働して生活していったことが遺伝子的に解明されてきているのだそうです。
http://www1.tlp.ne.jp/tomoyan/tosyo/tosyo.html
この見地から考えられることは、日本人は他民族を排斥するのではなくて、他民族と混血してのびてきているのです。基本は隣保相愛相互扶助の考えです。ですから、働くとは自分のためだけではなくて、基本的に人のために動き、結果的に多少自分も裕福になるとの考えです。
稼ぐに追いつく貧乏なしとのこの考えに一致していると私は思っています。一攫千金を夢見ることは基本的に他人の労働を略奪することに他なりません。自分はたいした働きもしないで、一挙にお金持ちになることは、誰かの働きを盗るしかないでしょう。
特許などを取得して、お金をたくさん稼ぐことがあります。でも実用新案とか特許をとるためには、いろいろな実権や工夫や失敗を積み重ねることが必要となります。これらの積みかさねの結果としてお金持ちになることもあるでしょう。でも働くが人のために動くことであるならば、特許を取得しても、みんなのために安くそのノウハウを提供するのが日本人なのかもしれません。その反対に他人のちょっとした工夫を盗み、特許をとれば、特許をとった人の勝ちになるのも事実です。
いろいろな観点から日本を見てみると、その根本にやはり『働く』の概念が強いことが日本の基本にあるように思います。共産党や民主党などの政党は、この日本人の『働く』との考えを忘れて、欧米風な考えかたを基本に持っていることが問題だと私は考えています。もちろん、組合運動もそうですが。
また、教育や保育においても、同様に働くことを基本に据えていないことが問題であると私は感じています。働くをワーク・ジョブ・労務・使役・工作みたいに捉えると、子どもを働かせてはいけないとの思想になります。ところが働くを「人のために動く」と捉えなおせば、子どもにとっても働くことは重要な意味を持つことになります。
また全ての活動は実は『働き』『学び』『遊び』が包括されています。学校の学習の場面でもまずは学習の準備のために黒板をきれいにするとか、ゴミを拾うとかは働きの要素です。ついで学習場面では学びが入り、その中で工夫をしていろいろ考える場面では遊びの要素も入ります。最後に後片付けをするのはまた働きの要素です。
働きの要素が充分に果たされないと問題が起こると私は考えています。
働きの思想の具体例
働きの思想の具体的な例を考えてみよう。
私の自宅前は平島公園にあります。平島公園がきれいになり、草花がたくさんになってくると、風が吹いても、砂などが飛んでこなくなりました。そこで私の自宅のブロック塀に穴を開けて風通しをよくすることにしました。本来ブロック塀は風通し用の穴が適時あいているブロックがところどころに使われているのですが、我が家のブロックはブロックの上から塗装されていて、高さ1.8メートルのブロック塀には一つも風通しが出来なくなっていたので、ブロック塀と家の間は湿気が多くなっていたのです。そこで穴を6ヶあけることにしました。
垂直のブロック塀に穴を開けるには平らでないところを真空状態にする特殊な機械がいるので、1ケ4千円くらいかかるので、2万4千円とのことでした。職人がやってきて、状況を確認しました。そこで『せっかくだから、もう少し穴をあけることができますか?』と私が聞きました。職人の方は『このブロック塀なら12ケくらいあけても大丈夫だし、その方がバランス的にかっこ良いかもしれない』『費用はどうしましょうか?』『じゃあ3万円くらいでやってあげますよ』とのことになった。この場合に私の考えを職人の方が自分の経験からして、このような形にするのがベターと考えてくれているのである。6ヶの穴が12ヶになるのだから、時間的には大変だ。でも、職人気質としては、せっかくだから良い仕事をしたいとのことであった。
同じ頃、私の元職場では、御行幸啓の準備で忙しかった。玄関前が水漏れがあるので、修繕の必要があった。しかしも元受けと孫受けの職人が違うので、職人との話が通じても元受けにまでなかなか通じないで私も苦労をしていた。そんな話をしたら、
「そんなものですね。『私達もどこそこに穴をあけよ』と言われてそこではまずいのでは。こちらが良いと思いますがなどと言っても『言われたとおりにしろ』と言われる。それで仕方なく意味がないのにと思いながらあけると後に『やり直し。ここにあけろ』と言われる。だから最初からそう言ったでしょ。と言いたくなるが、我慢をしている」と話をしていた。日本人は言われた通りに仕事をするのではなくて、オーナーの言われた真意を理解して、自分の経験智から、オーナーの真意に合致するよりベターな仕事を提案するのが本来的な働きだという思想があるのである。こうした思想を上手く取り上げていくことが大切であると私は思うのである。
働きと自然の関わり
日本人にとって働くとは人のために動くとのことである。このことは働きかける対象である自然に対しても、当然のこととして、欧米とは違った関わり方をすることになるであろう。欧米の思想は自然を征服し、自然を改修して、自然を作り変えて人間にとって有意義なものにするとの考え方だろう。日本人はそうではなくて、自然との共生の考えであり、自然から学び、自然から教えを請う考え方である。ですから、全ての自然の中に神を観ることになる。巨岩や巨木そして山そのものが信仰の対象となる。川も動物も神様が宿る。お稲荷様などは最高位の正一位である。もちろん狐はお稲荷様の使いでしかないのであるが、江戸時代には狐とお稲荷様を同一視することもあったという。狐も神様になれるのが日本の考えである。
大震災などでも、ある意味で冷静に受け止めることができるのは、大震災を起こした自然そのものを恨むような思想を日本人は持っていないからではないだろうか。自然の脅威に対して恨みを持つよりもいかにそのような自然と共存するかを考えるのがポジティブな思考ではないだろうか。そして自然との共有がしがたいものについては利用しないようにすることが大切であろう。
働きとアイデンティティ
問題行動を起こす子どもとの関わりにおいて、上手く働きの要素を取り入れると、子どもの自尊心を高め、アイデンティティを作るきっかけになることが多い。あるがままの子どもを受容したり、共感したり、遊戯療法を取り入れてみたりしても、上手くいかないことがたくさんある。子ども自身が『どうせ僕なんて、みんなに嫌われている。世の中に嫌われている』などと思っていることが多いからだ。そこでみんなで環境をきれいにするために草取りをしようとか石拾いをしようとか、ゴミを集めようなどとの働きを取り入れた活動をする。当然のこととして公園や学校や児童館児童クラブの施設はきれいになる。きれいになれば気持ちがよい。気持ちのよい状態で『君が頑張って働いてくれたから、きれいになった。ありがとう』と褒めてやる。これはおせいじでも甘やかしではなくて、事実である。褒められれば自尊心が高まる。自分は有意義な存在であると気づく。自分のアイデンティティが獲得されるようになる。
このときに、子どもだけを働かせるのは間違いである。やはり指導員が先頭に立って、働くことが必要である。このときに指導員は楽しく働くことが必要である。指導員や大人が嫌々やっていれば、その行動は子ども達に完全に見透かされてしまうであろう。指導員が楽しく働くためには、元に戻るけれどそもそも働きとは何かをきちんと捉えておくことが一番大切であると私は思うのである。
働きとマスコミ
司馬遼太郎さんによれば、日本は第2次世界大戦の一時期に少しおかしくなって、自分達の国を過大評価して、戦争への道を突き進んだという。その背景には日清日露戦争とくに日露戦争は勝利したのではなくて、かろうじて負けなかっただけなのに、マスコミを始め、勝利のみを宣伝したことも大きな要因があると司馬さんは言っている。私もその通りであると思う。日本のマスコミは大衆迎合主義=ポピュリズムの傾向が色濃いのではないだろうか。日本の良さをきちんと主張するのではなくて、日本は悪い国みたいな主張もその一つである。逆に高度成長時代には『消費は美徳』みたいなことを言い続けていた。日本の良いところも在れば、悪いところもある。逆に他国の良い点もあれば、悪い点もある。極端に右から左に流れていくのは危険な兆候ではないだろうか。
共働きに対する考えなども一緒である。20年程前には基本的に母親は家で子育てをするべきみたいな主張をしていたのに、最近は民主党みたいに共働きが基本形態みたいな考えに変容してきている。私流の考え方から言えば、共働きも主婦も主夫もいろいろであって良いのではないかと思うのである。多種多様の家族の有り様があってよいのではないかと思うのである。
働きに関する考えも一緒である。日本人の本来的な『人のために動く』的な考えを否定して、『同一労働統一賃金』とか「」主婦の賃金はいくらになるか』とか『主夫業が良いとか』『実力主義が良い』とか極端にぶれている。結果的に基本的な日本人の働きの要素を否定していることに気づいていないのではないかと思うのである。マスコミが大衆に迎合して、良い話ばかりをしていると、日本人は日本人の良さを忘れて、安易な海外覇権に出たり、あるいは他国崇拝をしてみたりする。良い面悪い面を含めて、自分の国を冷静に見る態度が必要であると思う。
最近のマスコミの出演者を見ると性同一性障害の方々やいわゆる外国人みたいな人の割合が異常に高いように思う。極端な偏りは危険な兆候であると私には感じられる。
by tomoyanjun
死に体の民主党政権?